このクソ親父(4部)完
このクソ親父(3部)から つづき
薄暗いアパートの玄関口で、女性は、小さな、か細い声でY氏へ言った。
「すいません、下の階のHです。・・・・・少しだけ、中へ入れていただけませんか?」
Y氏は、その時初めて下の階の人と出会ったので、何と言えばいいかわからず
「はじめまして、Yです。ご挨拶もしないで・・・・。」
あきらかに、その場には、不要で不自然な挨拶だったが、そう言うとドアを大きく開け、4人を暗い部屋の中へ入れた。
女性:「すいません、ごめんなさい・・・・ありがとうございます。どうか電気は、つけないでください。」
Y氏:「どうしましたか?大丈夫ですか?」
女性:「・・・・・・・。」
Y氏は、それ以上何も聞けずに、警察へ連絡しようかどうか悩んでいた。
Y氏:「もしかして、先ほどの大きな音・・・あのぉ・・・あれは・・・・ご主人なんですか?・・・・・」
すると女性は、黙って一度だけ、深くうなづくと・・・。
女性:「どうかしばらく、こちらの部屋にかくまっていただけませんか・・・・・。」
Y氏:「えっ・・・・・・。」
~~~~まるで、火サス(火曜サスペンス)じゃねぇかよぉぉぉ~~~~
しかし既に、Y氏の余計なほどの『おせっかいハート』は、既に疲れた体を呼び覚ましてしまっていた。
Y氏は、隣の部屋で、ジャージから仕事用の服に着替えるとカバンを準備した。
Y氏:「カギは、掛けておいてくださいね。部屋を出るときは、ポストに入れておいてくれればいいですから・・・・。」
そう言って、女性にカギを手渡すと、まるで忍者のごとく静かにその部屋を後にしたのだった。
Y氏は、ずっと疑問だった下の階の子供達の自分を見る視線が、やけに冷たかったことの謎が解けはじめていた。
それは日頃、自分の父親が、家族に対する接し方や、態度をみているうちに、子供達が成人した男性に対して、極度の恐怖心と尋常じゃないぐらいの敵意を抱いてしまったのだろう・・・・・と。
・・・・・・・・・・・・・・・
それから、一週間ぐらいたったある日の昼下がり、下の階で話し声がするので、窓を開けてみると、Hさん一家が、引越しの準備をして、荷物をトラックへ積み込んでいた。
Y氏は、どんなご主人なのか気になってしまい、ついつい覗き込んでしまった。
しかし、ツナギ服を着た引越し業者以外の男性の姿は、どこにも見あたらなかった。
やがて、あの時の女性(Hさん)が、部屋をたずねて挨拶にきた。
女性(Hさん):「その節は、すいませんでした。実は急に引っ越すことになりまして・・・・・。」
「これよろしかったら、どうぞ。」
そういうと茶色い紙袋をY氏に手渡した。
Y氏は、急な出来事にいろいろな疑問が頭をよぎっていたが、その場で女性にかけてあげる言葉も見つからずに
Y氏:「そうですか・・・・どうかお元気で、お気をつけて・・・・・・あの・・・・だ・大丈夫ですか?」
女性:「ハイ・・・・」
と短い言葉をかわしただけで、あとは何も尋ねることができなかった。
やがて、引越しのトラックのエンジン音がして、出発の気配がしたので、Y氏は、正面の窓を開けて、下を見た。
2台のトラックが出発して、女性が運転する古いバンの助手席に、あの子供達の姿が見えた。
Y氏は、黙ってその子供達へ手を振ってみた。
「このクソ親父!」
そう言っていた、あのお兄ちゃんだったが、あの時の鋭い眼光はなく何処か寂しげな表情をしているように見えた。
そして助手席の窓からY氏に気が付くと、黙って頭をさげると深くお辞儀をしたのだった。
それを見て、Y氏は胸に込み上げてくる熱いものをおさえきれずに、車が見えなくなるまで、放心したかのように、遠くを見つめていた。
ふと握り締めていたHさんがくれた紙袋をあけるとは、そこには大きなグレープフルーツが、3個ほど入っていた。
甘いグレープフルーツの香りが、ジリジリと照りつける夕暮れの日差しを和らげるように、部屋を包み込んでくれた。
ふと一個のグレープフルーツに黒いものが見えた。
そこには、あの小さな女の子が描いたのだろうか、マジックのようなもので、似顔絵が書いてあった。
お世辞にも上手とは言い難かったが、その似顔絵の人は、丸いメガネをかけていた。
そう・・・、ちょうどY氏がかけているような、小さな丸いメガネだった。
「このクソ親父・・・・」Y氏は、グレープフルーツに向かって小さく呟いた。
追記:
そのHさん一家のご主人は、酒癖が異常に悪くて、お酒が入ってしまうと今でいうDVだった
らしく悩まされていたというのは、近所でも評判だったそうです。(後で聞いた話)
しかし奥さんは、ご主人をとても愛していて、酒さえ呑まなければ真面目な職人さんだと
近所の声には、一切、耳を貸さなかったと。
その後、ご主人が、お酒が入った状態の時に、逮捕されたらしいのだが、詳細については聞いてません。
・・・というよりも、不動産屋さんや大家さんもそれらを承知していたらしく・・・
だから家賃も格安だったのかな?・・・と後でちょっと思いました。
しかし余計な詮索をするのがイヤで、それ以上は、何も尋ねませんでした。
今でも、度重なる暴力にじっと絶えてきたであろう、あの子供達の瞳をずっと忘れることは出来ません。時々、電車の音が聴こえるガード傍の居酒屋さんなんかで、お酒を呑む機会があるとあの瞳を想い出すことがあります。
どうか社会に出て、たくさんの優しさと愛情にふれて、育っていてくれたら・・・・・と。
このような駄文を全編、最後までお付き合い、お読みいただいた方、ありがとうございました。